源泉徴収制度の問題点

千田整形外科クリニック  千田 直


要旨

 給与に対する源泉徴収制度は「国民にとって」よい制度か
 源泉徴収制度は、戦時に国が徴税をやりやすくするために導入されたものであり、徴収される側、する側の不平等という問題点が指摘されてきた。それに対する以下の国の主張は本当だろうか

 給与に対する源泉徴収制度は「国民にとって」よい制度か
 源泉徴収制度は、戦時に国が徴税をやりやすくするために導入されたものであり、徴収される側、する側の不平等という問題点が指摘されてきた。それに対する以下の国の主張は本当だろうか

(主張1)徴収方法が効率的である

 源泉徴収が効率的だというのはあくまで国の側にとってのみで、
徴収にかかる費用を民間が負担しているからにすぎない
 民間の負担
  税理士顧問料
  大企業での余分な事務職員の経費
  零細企業の経理担当者(多くは奥さん)の夜なべ

(主張2)源泉徴収制度は諸外国にもある

 諸外国と決定的に違うのが年末調整と給与所得控除である
 その問題点。
  事業主による徴税コストの負担
  従業員のプライバシーが損なわれる
  過大な必要経費を認めることによる税制のゆがみ
  税収の落ち込み
  サラリーマンの納税意識を欠落させる

以上のように問題点が多いので、年末調整は見直し、原点に返ってサラリーマンも申告納税とすべきではないか。


本文

 整形外科医のメーリングリストで、社会保険からの医療費の支払いの時には源泉徴収があるのに、国民健康保険組合連合会からの支払いにはどうして源泉徴収がないのだろうという話題が出ました。なぜか? 結論から申しますと、法律がそうなっているからということになります。

 所得税法などによりますと、社会保険診療報酬支払基金が支払う診療報酬は源泉徴収の対象になりますが、健康保険組合又は国民健康保険組合等が直接支払う診療報酬、福祉事務所が支払う生活保護法の規定による診療報酬は該当しない、とあります。わかったようなわからないような話ですが、要するに支払基金を通して支払われた診療報酬のみが源泉徴収の対象になるということのようです。この理由を税理士さんに確認したところ、おそらく支払基金は国の管轄する特殊法人なので源泉徴収の義務があるのだろう、ということでした。これもよくわからない話ですが、とりあえず最初の疑問への答えです。

 ここからが本題です。所得税法では所得者自身がその年中に稼得した所得と、それに対する税額を計算し、これを自主的に申告・納税するといういわゆる「申告納税制度」を建前としています。本来申告納税ならば源泉徴収する必要はなく、各人が自分で確定申告すればいいことになります。そこにどうして源泉徴収制度が入ったのでしょうか。 そもそも給与に対する源泉徴収制度は、当時のドイツの制度を見習って昭和15年に導入されました。つまり戦時に徴税をやりやすくするためのものでした。それが戦争を乗り越えて敗戦後も綿々と続いているということになります。そんな源泉徴収制度に問題がないでのでしょうか。実はこれは古くからある問題で、「勤労所得者のみが源泉徴収されるのは徴税上差別的取扱いではないか」とか、「給与の支払者が所得税源泉徴収の義務を負うのは、一般国民に比し不平等な取扱いを受けたものではないか」といった理由で裁判にもなっています。判決はいずれも「源泉徴収制度は、徴収方法として効率的、かつ、合理的である。徴税義務者の徴税業務は憲法の条項に由来し、公共の福祉によって要請されるものである」と、国側の主張を容れたものになっています。つまり徴収方法が効率的だからよいのではないか。徴税義務者の負担は公共の福祉のためだから我慢しなさい、という趣旨です。

 源泉徴収が効率的な制度だという論拠の一つが、国税務署職員数が極めて少なくすんでいる、というものです。現在日本の国税庁の職員数は約57,000人です。昭和30年には約50,000人でした。その間の4、50年の間にGDPも増加し、税収も50倍以上になっているにもかかわらず、職員数はさほど増えていません。確かに効率的といえるかもしれません。しかし一方で税理士の数は昭和30年には6,000人あまりだったのが、約10倍の60,000人以上になりました。もちろん、経済発展の段階で企業が増えたこともあるでしょうが、源泉徴収制度がなければ本来国が負担すべき徴税コストを、事業主が税理士などへの報酬として負担していたという面もあるのではないでしょうか。われわれ開業医も事業主の端くれですので、源泉徴収義務者であり、徴収した税金の納税義務者でもあります。実際にはこれらの作業は顧問税理士が行っているので事業主が実感することはないのですが、顧問料として何らかの形でオンコストされているはずです。これらの徴税コストがどれくらいか算定するのは非常に難しいですが、元国税庁の職員だった平野拓也氏は全国で年間「概算5万人分の人件費、2500億円」と試算しています。これは税理士への報酬のみならず、大企業での余分な事務職員の経費、零細企業の経理担当者(多くは奥さん)の夜なべなどすべてを含みます。源泉徴収が効率的だというのはあくまで国の側にとってのみで、徴収にかかる費用を民間が負担しているからにすぎないのです。

 源泉徴収制度は諸外国にもある制度である。これも国がよく言うことです。では実際にはどうでしょうか。日本のお手本となったドイツでは、現在は源泉徴収と納税申告の選択性です。アメリカも源泉徴収はありますが、これは一種の予定納税でして、最終的には、サラリーマン本人が自分で計算して申告しなければなりません。あらかじめ徴収してある額が多めなので、申告すると税金が戻ってくることが多いようです。アメリカの国民1人あたりが納税申告書作成に要する時間は平均11時間半といわれています。これだけ手間隙をかければ、税金の使い道にうるさくなるのももっともな気がします。ちなみに、この税の還付の時期はアメリカの株価は上昇傾向にあります。アメリカ国民は還付されたお金で株を買うからです。フランスは源泉徴収制度自体がありません。こうやって見ていくと、導入のいきさつはともかく、源泉徴収制度そのものが日本固有のものでないことはわかります。

 しかし、諸外国と決定的に違うのが年末調整と給与所得控除です。年末調整は、サラリーマンの確定申告のかわりをなすものですが、戦後の混乱期に導入されました。これも遅滞なく徴税を行うための緊急措置でした。事業主は全従業員の税額を計算して源泉徴収分と相殺して、余分に徴収していたら還付し、不足があればさらに徴収して国に納付しなければなりません。これは事業主にとっても大変な仕事です。なにせ1人計算するのに11時間半もかかるのですから。一方サラリーマンにとっても、各種控除を受けるために家族構成やら配偶者の所得などすべてを雇用主に申告しなければなりません。人によっては知られたくないこともあるでしょうが、この制度のもとでは個人のプライバシーなど望むべくもありません。こんな制度をいったい誰が是とするでしょうか。こういった不満を和らげるためかどうかわかりませんが、実はあめ玉も用意されているのです。それが給与所得控除です。給与所得控除は一般にはサラリーマンの必要経費と理解されています。しかし実際の経費と比べるとかなり過大です。仮に800万の給与所得だと200万が控除されます。スーツやネクタイ、靴など全部あわせても、一般のサラリーマンが年間200万も仕事のために使っているでしょうか。開業医の場合、医師優遇税制などといわれ経費の算出が概算で認められるケースがありますが、現在これの恩恵を受けているのはよほど医療収入が低いところだけです。ところが給与所得控除は全サラリーマンに及んで、しかも所得に対してかなり高額です。これなどサラリーマン優遇税制といっても過言ではないでしょう。給与所得控除は事業主が年末調整に費やす負担も軽減します。11時間半の作業を半分くらいにできるかもしれません。サラリーマンにとっても事業主にとっても、一見いいことずくめのような気がしますが、事業主による徴税コストの負担、従業員のプライバシーが損なわれるという根本的な問題の解決にはなっていません。また、過大な必要経費を認めることによる税制のゆがみ、税収の落ち込み、さらにはサラリーマンの納税意識を欠落させるというより大きな問題もはらんでいます。

源泉徴収はともかく、年末調整は見直し、原点に返ってサラリーマンも申告納税とすべきではないでしょうか。