よい病院、よい医院とは(名医リストの危険性)

本田整形外科クリニック 本田忠

はじめに

 ネット上で健康相談をしていて、いつも困る質問は、「良い病院を紹介してください」という質問です。また雑誌などでも、よく「全国名医リスト」などという、特集が組まれます。リストを見れば、無難なところで、大病院しか選んでいない。正直なところあまり役に立たない。まことに、患者さんの名医願望は、根強いものがあります。そういう状況の中で、はたして「名医リスト」のような比較広告が、必要か、あるいは意味があるのかは、はなはだ疑問です。
一方、新聞などでは、まことに多様な事が問題になっています。
読売新聞 病院を変えよう・いのちつなぐ情報(リンク切れ 2021.7.10)

医療における情報公開の問題点

 患者さんのニーズの多様化は時代の流れです。それに答えるためにも、各病院の情報公開は、もっとすべきと思います。しかしはたして、単純に情報公開して、しかも「比較広告」すれば、すべては解決するのでしょうか?

1)医師と患者さんの間には、「情報の非対称」がある
 パターナリズムは、医師と、患者の同等な関係があれば乗り越えられる。情報公開はすべきである。しかし、幾ら情報公開しても、結局のところ、完全に、関係は平等にはならない。まず、患者と医師の間では情報の非対称があり、独立した自由な関係とはいえない。患者は弱者である。パターナリズムをまったくゼロにするの不可能である。弱者とは知識の面と、依存心である。どんな方でも病気になれば、自分の弱味を医師の前にさらすのであり、救けて欲しいという依存心が出る。一種の退行です。同様に知識も完全に平等にはならない。そのために医師という専門家がいるわけですから。


2)医師と患者の関係は曖昧である。
 アメリカの場合は、インフォームドコンセントは、独立した権利主体、人格主体としての患者への説明と同意という関係でなりたっている。日本の場合厄介なのは、個人の決断に基づくはずの、自己決定が、不明確に行われる。むしろマターナリズム(母親的包容主義)というべき関係にある。このようなマターナリズムの存在するところでは、患者は重大な事項について、自己決定することは難しいのはもちろん、手術、検査、麻酔等の、必要性、危険性にたいして、主治医が用意する、同意書へ記入することさえ、違和感や、抵抗感を感ずる。これは日常よく見られる光景です。しかし、あくまで最終決定権は患者さんがもっているという形になっていることも事実である。現場での現実的な対処としては、あくまで徹底した、おたがいの対話で行うしかない。説明と同意。
 現時点では、特に日本では医師と患者の関係は基本は、契約関係よりも、「人間同士の思いやり」という実にあいまいな信頼関係におかざるをえない。そういう日本的現状のなかで、過度のルール化は逆に医師の自己責任の放棄と形式主義への退行であると考えます。患者さんへすべて情報を流して、決定させるというのは行き過ぎであろう。


3)情報公開した評価は、果たして比較にたえうるのか。
 比較広告の大原則は、参考文献に述べたとおり、比較広告で主張する内容が、客観的に実証されていること。実証されている数値や事実を、正確かつ適正に引用すること。比較の方法が公正であること(不当表示などでない)の3要件を満たす必要があるわけです。ところが医療というのは、数学などの純粋科学ではなく、まだ経験科学であります。単純な数字の比較は困難であります。たとえば胃癌の手術成績一つをとっても、施設によって対象者や重症度も異なる群に手術をして行うわけですから、軽い群の施設の成績は非常に良い。重症群を扱うところは悪い。また成績を出すにしても、5年、10年とかかる。医療は日進月歩ですから、成績が出る頃には別な治療法をしているところが大部分である。医師も変わっている。医師の技術者としての技量も、年齢とともに大きく変わります。老眼がはじまれば、あるいは、当然体力が落ちれば、当然低下する。なかなか評価は一筋縄ではいかない。また医療というのは、確率なのです。60%成功したということは、40%失敗したということである。患者さん個人にとっては統計はあまり意味がない。また医師の人柄がよいとか、何でも話せるという評価は、医師の技術そのものとはなんら関係がないことも当然です。
 医療の場合に、果たして万人が、あるいは評価された医師が納得でき、深く反省し、医療の改善に役立つようなるような、ある程度客観性をもった指標ができるのか、はなはだ疑問です。もとより、患者さん代表がいて、有識者がいて、医師がいたからといって、客観的な評価が担保はされません。わかりやすい指標ひとつをとっても難しい。


)その評価の社会的影響は(過度の特定病院集中)
 よくできた人間の評価尺度としては、たとえば偏差値や知能テストというものがあります。これは数字で比較できる、よくできた指標です。だから人口に膾炙した。しかしその結果、その評価が、あたかもすべてであるかのような弊害も、目立つものであります。いずれも児童の一面しか捉えきれていない。発案者は学習到達度の、単なる目安のつもりであった。あんなもので一律に人が評価されたらたまりません。これだけよくできた指標でも、弊害が目立つわけです。
 医療において、患者さんのニーズがあるから、わかりやすい指標、たとえば、各病院の手術成績をリストして、病院のランク付けを行い、それが一般に発表する。全国の患者さんは、当然、その数字だけで、一番の病院を目指す。その病院は、たしかに一つの面では良い病院かもしれませんが、どの病院も、人的にも規模的にもキャパシテイというものがあります。全国から患者さんが集まれば、仕事にならなくなる。3分診療どころか、3秒診療になる。当然質の低下が起こる。患者さんの根拠のない「大病院集中の弊害」も良くいわれていることです。それは医師と患者双方にとって不幸な事です。
 情報の非対称により、残念ながら、患者さんが客観的な評価をできるとは思えない。全的な評価でない、単なる一面の目安でしかない評価が一人歩きしたら、これは怖いことになる。患者さんのニーズは多様です。医療側は、患者さんのいろんなニーズに対し、考える材料を提供するだけでよいのではないでしょうか。比較広告はいわば百害あって一利なしです。また、それは、おそらく病院の偽善的なデータを作ることにもなるでしょう。悪いデータは出さないでしょう。結果的に情報に振り回されることになる。

医療の情報公開と評価の現状

以上の現状を踏まえて、比較広告などへの法的規制と、それを考慮した実際の評価が行われています。

1)情報公開の法的規制

1-1)インターネット上での医療の広告の法的規制
 医療機関がインターネット上で患者向けに広報することについて厚生省は「今のところは問題ない」(上田博三・医療技術情報推進室長)との判断を示している。根拠としては広告のように不特定多数の人が見る機会は少なく、アクセスする人のみが見るから、との見方。しかし、
1.比較広告のようなどぎついもの
2.「プロバイダーが集中的に集めて何か細工をして提供する」などは好ましくないとしている。
要するに名医リストの様な、比較広告はまずいとなっているわけです。妥当なものと思います。
1-2)医療法の規制
医療法の規制(リンク切れ 2021.7.10)もあります。


2)病院の機能評価

 以上のような問題点を踏まえて、平成九年度から、「財団法人 日本病院機能評価機構」が本格的に稼働しました。財団の基本的性格も、中立的・学術的な性格の組織として設立されました。くわしくは参考文献を参照ください。
まず大切な事は、機能評価を受ける病院は、自由意志で参加し、あくまで「自己評価」であるということです。またこの第三者評価の結果と、広報活動は明確に区別されます。第三者が評価をして、その結果、その情報が開示され、患者が行きたい病院を選択できると考える向きがありますが、これは違います。第三者による病院機能評価は、あくまで病院自体の質を評価し、医療の質の向上のために行われるのです。もちろん、患者・地域住民に対してのその病院の機能・サービス等の公開・開示といった広報活動は、今まで以上に必要です。
 質の評価(名医)ではなく、あくまで病院の機能の評価です。今まで述べたような、比較広告になりうる難しい問題を避けているわけです。

患者さんとしては、どの様にして病院を選べばよいのか?

 では、比較広告がだめなら、医療機関の質の判断の仕様がないではないか、それは困るという向きが有るやもしれませんが、それは偏差値教育に毒された、わかりやすい基準を求めているだけで、そう簡単な話には残念ながらなりません。病気は非常に多様なのです。患者さんのニーズも多様である。家庭の事情なども有るでしょう。そういう意味では、決められたルールなどないにひとしい。あくまで病気は、個人的、個別的なものなのです。一対一で個別的に考えていかざるを得ない。医師も患者さんの事情に合わせて、柔軟に対処する(裁量権を、最大限に発揮する)必要がある。

1)多種、多様な情報のなかで、あくまで個別的な自分のニーズにあわせて考える

  医療機関も、患者さんに考える材料と、医療機関の選択の自由の幅を、与えることはよいことと考えます。特にネット上のホームページで、各病院のいろいろな情報の公開をする。治療成績の公表。内部の設備、その他、人的スタッフの紹介。もちろん、これはあくまで、法的な規制の中で行うべきと思います。現在の日本の病医院のホームページは、まだまだ内容が貧弱です。もっと情報を蓄積すべきである。
一方、広告に関する、種々のデータを見れば、現在の日本においては、比較広告はむしろ反感を買う。しかも大病院にとっては、はじめから有名であるわけですから、このような比較広告は、あまり意味がなく、むしろ不利でさえあるとなっています。ネット上では、中小病院、診療所などのほうが、自分の病医院の独自性をアピールできるので、非常に効果的であると思います。患者さんが、現在の日本の医療における、地域内の病医院の多様性が理解できれば、意味のない患者さんの大病院集中を防ぐ手立てにもなる。当然、魅力ある中小病院や医院が、世の中にはいっぱいあるわけですから、多いにネット上で宣伝すべきであると考えます。

2)医療の専門家としての、「かかりつけ医」を、ナビゲータとして上手に利用する

 現在の日本では、患者さんはどこの病院を選んでも自由です。これはフリーアクセスといいます。いっさい規制は出来ません。しかし、低成長時代で、医療資源は無限ではありません。医療は地域の中で解消するのが基本です。
 医師と患者の関係は、情報の非対象により平等ではない。そのなかで、患者さんが、医療の専門家としての「かかりつけ医」の活用を図るのは、賢い選択であると思います。あくまでゲートキーパーたる開業医が、情報のバランスをとり、患者さんと対話して、各患者さんにとって最善の道をいっしょに考えるべきでしょう。

まとめ

患者さんの病気は多様です。当然、そのニーズも多様である。同じく、地域において求められる病医院の機能も、多様であります。治療成績だけが病院の質の評価ではない。医療は、お互いの信頼関係でなりたつものです。「患者対医師」。「医師対医師」でもそれは同様です。面識もない、あるいは信頼関係の無いところでの、医療ははなはだ困難になります。われわれ医師は、地域内では医師のネットワークが存在しますので、地域内のことは熟知していますが、地域外のこと、あるいは専門外のことはよく知りません。医療は、患者さんの多様なニーズに対し、あくまで一対一の対話をベースとして、共に行っていくものと理解しています。
また通常の疾患は一回の受診ですむものではありません。直るまで、継続的な受診が必要になります。遠くの病院に通いきれるものではありません。医療は、いわば地域密着産業といえます。
病医院の質の評価は、人間の評価と同じで、もっと多面的で、豊かであってよい。また病院の「偏差値」を示しただけでは、何も考えないで、数字だけで人を評価する、偏差値人間を大量生産するだけである。いろんな情報のなかで、自分で考え、自分の責任で物事を選択する、人間を作ることにはならない。
あるべき「患者対医師の関係」は、情報に振り回されないで、個人的な「信頼関係」を大切にした、対話のなかで、バランスをとりながら、自己の判断で、病医院を選択することであろうと思います。
従って当初の健康相談に対する具体的な回答は
、「地域のことは、地域医療に従事している、かかりつけ医の先生が良く御存知です。かかりつけ医の先生に良く御相談ください」ということになります。
賢い患者さんになりましょう。


参考文献

○一般の比較広告について
 比較広告それ自体は、比較されるデータが正確であり、比較の方法も妥当であるならば、一般消費者が商品を選択するにあたって、同種商品の特徴を適切に比較できるため、その限りでは、不当表示には該当しません。公正取引委員会は、比較広告として適切であるための要件として、以下の3つをあげています。
1)比較広告で主張する内容が客観的に実証されていること
2)実証されている数値や事実を正確かつ適正に引用すること
3)比較の方法が公正であること(不当表示などでない)
比較広告の問題点(主に自社商品と他社商品の比較)
1)些細な違いを強調したり、部分的な結論を全体に押し出すことがある。
2) 単に競争事業者またはその商品等を陥れるために、その欠点を指摘する、中傷、誹謗に当たる広告となってしまう。
3)不当表示に陥りがちである。 事実に反する広告は不当表示となる。
各種報告では、一般に日本において、比較広告の手法は「注目」を集める反面「反感」も高めて可能性がありうる。比較広告はあまり有効な方法ではない。また比較広告は小規模な企業が大規模な企業に対して行うのが効果的であるといえる。大企業は既に,消費者から注目されているので,今更デメリット型の比較広告で主張する利点が見当たらない.しかし,小企業にとっては,広告自体が注目を集めるという効果が示されたことから,とりあえず無名商品の知名度をあげたいというような目的がある場合には、ユーモラスとインテリジェンスを兼ね備えた根拠明示の比較広告が有効な広告手段となるであろう。年代別では、40代以上の男女は、比較広告を見ることによって、大学生よりもネガティブな印象を受け、小林(1987)の研究と一致する結果が得られるであろうと考えられる。

○病院機能評価
財団法人日本医療機能評価機構