何故、米国の無保険者が4000万人を超え、医療費は高騰化するのか

(医)谷掛整形外科  谷掛駿介

 現在、激化しているアメリカ大統領選挙の重要なテーマのひとつが、「医療問題」であることをご存知でしょうか。
両候補は米国が抱える医療費問題について持論をぶつけ合っています。
ブッシュ現大統領は、医療費高騰の引き金になっている「医療過誤訴訟の多発と巨額の賠償金」に歯止めを掛けるための賠償額上限設定案を主張。一方、ケリー候補は医療保険無保険者が国民の約16%以上いる状況を問題視し、米国の平均世帯の年間保険料を1,000ドル減らし、各州が提供しているメディケイド(低所得者層向けの公的医療保険)を拡充し、全ての子供が保険加入できるようにすると主張しました。
 このような解決策を必要とする程、劣悪な医療事情に苦しむ米国国民が、どちらの候補を選択するのか注目に値しますが、アメリカの何処に日本が自国の国民皆保険制度を壊してまで導入しようとする理想の医療制度はあるのでしょうか。


参考資料

【1】米国の無保険者が何故4.000万人も超えているのか
【2】保険会社の管理医療により無保険者を増やした理由
【3】米国における医療費の高騰化の原因
【4】両大統領候補の解決策


【1】米国の無保険者が何故4.000万人も超えているのか

 資料1.みずほ総合研究所 「みずほ米州インサイト」2004年9月1日発行によれば米国の2003年種類別保険加入割合は、民間医療保険が68.6%、公的医療保険が26.6%、無保険者が16.6%である(表1)。
 この4000万人を超える無保険者の問題は、米国の医療保険制度の弊害から生じていると言われている。

表1.米国種類別保険加入割合(2003) 

民間医療保険  68.6%
  雇用主提供保険60.4%
  個人保険9.2%
公的医療保険  26.6%
  メディケア12.4%
  メディケイド12.4%
  その他3.5%
無保険者  16.6%
 注:複数の医療保険に加入例のため合計は一致していない
 メディケアとは高齢者、障害者向けの公的保険
 メディケイドとは低所得者向けの公的医療保険   
 出典:Census Bureau,August 2004

 また 現役世代の多くは、通常、雇用者たる企業が保険会社を選び、自らの保険選択の余地は少なく、契約期限が切れると、もっと安い悪条件の保険会社と契約する事が多く、それで主治医が変わり、医療へのアクセスをわざと悪くしている。 これは、景気が悪くなると増加する傾向にあり、雇用主提供保険では雇用主が7割を負担しており、経営環境が悪化すれば、保険料支出への圧力がかかる為である。失業者の場合には、自らが個人保険を購入しなければならない状況から、どうしても無保険者になり易い。失業保険を4ヶ月以上受給した人を対象にした調査では、医療保険に加入している人の割合は、開始前の82%から58%まで低下しているとのことである。また、職に有りついても無保険者が意外に多く、 2003年の調査では18~64歳で仕事についている人の19%が無保険者であった。最も多いのは、勤め先の企業が医療保険を提供していない場合で、64%を占めている。無保険者になると、必要な医療サービスを利用しなくなり、健康状態に悪影響を与えるといった問題が生じているとのことである。


【2】保険会社の管理医療により無保険者を増やした理由

 李啓充氏は、資料2.によればマネジドケア(管理医療)によって、さらなる無保険者が増えることを指摘している。営利の保険会社にとって、第1の任務は、利潤を上げ投資家に還元する事にあるので、その有効な方法は、病人を保険に加入させない事であり、健常者を優先的に医療保険に加入させること(サクランボ摘み)である。メディケアHMO(高齢者用公的医療保険の維持協会)の失敗は、医療を市場原理に委ねたことであり、「企業の一方的な都合で約束されたサービスがある日突然 消えてしまう」という事態を招いたことである。非高齢者の場合でも、マネジドケア(管理医療)は、企業での就労が可能な「健常者」の契約を優先させ、その低価格 さを売り物に企業等と契約を結んでいる。その結果、社会の中に安価な医療保険が出来る一方、「著しく高価な自己加入の保険」を購入できない場合は無保険者となるしか仕方ない状況が生じた。
 さらに、企業等で雇用主を通じて加入する保険は、各企業と保険会社が保険料やサービス 給付について個別の契約を結ぶ仕組みになっているので、心臓や腎臓移植を受けて元気になった患者が、「働けるようになったから職場に復帰したい」と希望しても、 雇用主が中小企業の場合は、その後の免疫抑制剤等で高額の医療費がかかる為に企業全体の保険料が上がってしまうので、職場への復帰が拒否されるのが常識 になっている。すなわち、無保険者になるか、高額の医療費を払い、蓄えを使い果た して、メディケイドの適用を受けざるを得ない。これが無保険者が米国で増え続ける原因のひとつで、マネジドケアが「サクランボ摘み」に励んだせいだとも指摘している。


【3】米国における医療費の高騰化の原因

 さきの資料1によれば、米国の医療費の高騰化問題も深刻である。
米国医療費のGDP比は、1990年12%、2000年12.9%、2003年には15.3%に上昇 しているが、医療費の高騰化の原因の50%から70%が技術進歩の影響と言われて いる。米国医療事情は、国民皆保険制度ではない為、政府のコントロールが弱く、市場原理が機能し、技術開発へのインセンティブが働きやすいことが、医療技術の発展を促すと同時に、医療費の高騰化をもたらすと言われている。
 その他には、訴訟に備えた医療過誤保険料や高齢化の進展や所得の伸び、医療 保険の普及、不必要な支出の存在(医療過誤への備えや、過剰な医療等)が指摘されている。とのことである。実際にアメリカ合衆国のニューヨーク市にある日本の医務官の情報によっても医療費の高額なことが指摘されている。一般の初診料は150ドルから300ドル、専門医を受診すると200ドルから500ドル、入院は室料だけで2千ドルから3千ドルの請求を受ける。虫垂炎で入院手術を受けた場合は1万ドル以上が請求されるとのことである。非保険加入者では全額の1万3千ドルも医療機関に払わなければならないことである。
資料3.損保ジャパン総研コォータリーの「米国における健康保険市場と保険会社のヘルス事業」によっても米国における医療コストの上昇要因として病院費用が2001年では増加率が入院でも、外来でも高くなっていることと処方薬薬剤費用が高くなっている。これは近年減ってきてはいるが前年比2001年でも13.8%の増加である。
 小生が2001年にボストンを視察した際に、お聞きした産婦人科医は、年間3万ドルの医療過誤保険料を払っており、これは米国医師の平均年収の1割から2割に相当すると語っていた。
 また、ボストン郊外の2人の医師を雇用している診療所の医師は、1日80人から100人の患者さんを朝10時から夜8時まで診ているとの事であるが、日本と違って1,200から1,500もある保険会社によってマニュアルが違い事務量がほぼ1週間のうちの半分を保険の請求事務に当てているとの事であった。これはマサチュセッツ総合病院でも同じ事で職員の350人は保険請求事務に張り付いていると言われたし、李啓充氏もボストンでの講演の中で述べておられた。ケンブリッジ病院でも職員の4人に1人は請求事務に携わっているとのことであった。日本のような国保連合会や支払い基金のような第三者機関を通さず、各医療機関がそれぞれの保険者と個別に契約し、さまざまな異なった条件下で請求業務をしなければならないためである。
 1997年度の日米の国内総医療支出(TDHE)を比較すると、TDHE費目別構成比では間接医療費が日本では19996年でも1997年でも1.7%であるが米国は5.6%、5.1%と3倍にもなっていることより、医療費を押し上げる要因の1つとなっていることは明らかであろう。
 薬剤費については、Harvard Medical Scool講師のMarcia Angell は製薬会社のR&D費用は売り上げの14%しかなく、マ-ケティングや管理費に31%も費やしている。又その利益はFortune500に入っている上位10社の製薬会社の利益は合計$35.9Bと他の490社の合計利益よりも大きいと報告して、価格設定に問題があることを指摘している。
 又、李氏も自由価格の恩恵で製薬会社は利益率20%の巨利を得ており、ジェネリックの登場を妨害し自由競争を妨げていると指摘している。


【4】両大統領候補の解決策

 こうした問題だらけの米国医療保険制度に対して、両候補は対照的な解決策を呈している。

(ブッシュ案)
 民間保険において個人保険やAHP(Association health plan)が主流となっている雇用主提供保険以外の商品を充実させ、市場の活性化を通じて価格低下を実現する一方で、優遇税制をかみ合わせ、無保険者を削減する方針である。HSA(Health  Saving Account)と呼ばれる優遇税制口座の普及を通じ、個人に医療コストをコントロールするインセンティブを与えることを目指している。

(ケリー案)
 第1に、メディケイドの拡大による無保険者の削減である。第2は、中小企業を中心とした新たな保険の枠組みの創設である。失業者や早期退職者など既存の枠組みから抜け落ちている国民が加入でき、保険料は優遇税制の適用を受ける。第3は、高額医療への政府による再保険制度によるコスト削減である。米国では少数の高額医療利用者の比重が高く、これが全体の保険料を引き上げている と言われている。雇用主提供保険で年間5万ドルを超えた場合、政府がその75%を負担することで全体の保険料を引き下げるとしている。ちなみに両候補の医療保険改革案の費用対効果を比較すると、ブッシ候補は、2005年から10年間で1.362億ドル削減、無保険者は2008年時点で240万人減少、一方、ケリー候補は、12,323億ドルと2,670万人である。削減費用も無保険者減少数も、ケリー候補が10倍以上の効果があるとされており、その費用は高額所得者の増税で補うと主張している。


 資料  
   1.みずほ総合研究所 
     「みずほ米州インサイト」2004年9月1日発行  
   2.アメリカ医療の光と影 週刊医学界新聞 李啓充 
   3.損保ジャッパン総研コォ-タリ-
     「米国における健康保険市場と保険会社のヘルス事業」
   4.苦悩する市場原理のアメリカ医療